糸色望は、なぜ絶望しなくなったのか?

 毎回選んだひとつのテーマをイジっていくのが、「かってに改蔵」後期〜「さよなら絶望先生」(敢えて、前期と言おう)までの久米田康治のスタイル。
 「さよなら絶望先生」では、そのテーマにちなんだ世相などの諸々に対し、(作者が斜に構えて)望が「絶望した!!」と叫んでいたのだ、が?
 
 このところ、方々でネタにされるほどに、望は絶望しなくなってきている。
 何故か?
 
 「南国アイス」から久米田を知っている人はわかると思うが、この人、現在に至るまで徹底的にニッチなギャグをターゲット層にしてきた。
 彼がよく口にする「あだち充」の王道ラブコメではなく、王道のギャグ漫画が存在していたから、それを避けていたのでは?と思われる。
 
 ところが、今や見回すと、「絶望先生」以外萌え要素を含まずギャグ一本で勝負する漫画は、目立たなくなってしまった。
 
 ギャグ漫画、不毛の時代なのだ。
 「絶望先生」が王道のギャグをやっても、それがニッチになる。
 先週の少年マガジン、「さよなら絶望先生」201話を読み、ふとそんなことを思った。
 あのネタは、時代が時代なら、「究極超人あ〜る」の担当だ。