「ジャンプSQ.」の購読をやめました

 2007年の創刊以来付き合ってきた「ジャンプSQ.」だが、今年から定期の購読をやめることとした。
 面白いと感じる連載漫画作品が少なくなったこともあるが、それより顕著に「方向性が変わってきた」と思わされるところが多くなってきたことが大きな理由だ。
 つまり、このままでは、「面白い」と思えるものが今後も出てこないであろうことが推測される、ってことになる。
 
 「千早さんはそのままでいい」の腑に落ちない路線転換、「ハッピィミリィ」「大森サティスファクション」の相次ぐ連載終了と、「ギャグマンガ日和」以外のギャグ漫画に冷たいこと*1
 迷走する「青の祓魔師」「双星の陰陽師」を引き延ばしていること。
 そのあたりが、微妙に「違う」ンである。
 
 このラインアップ,進め方を見ていると、創刊時の「ジャンプSQ.」は少年誌・青年誌のクロスオーバーした漫画誌を狙っていたが、「To LOVEる -とらぶる- ダークネス」の連載終了したことも含め、少年誌を読む女性層向けに路線変更してきたと思われるのだ。
 もしかすると、昨年の春先に、「ONE PIECE」の尾田栄一郎が「マンガ脳の鍛えかた」で語った、『とにかく少年たちに向けて描くんだ』発言が、「週刊少年ジャンプ」のターゲット層の回帰,それ以外の方(女性)は「ジャンプSQ.」への流れに、無意識に影響を与えているのかも知れない。
 
 なら、なおさらだ。

*1:6代目「日ペンの美子ちゃん」を手がける服部昇大サンの「魔法の料理 かおすキッチン」を終了させたことも、納得いかなかった。

アニメーション放送は、首都圏一極集中化の時代?

 2017年夏季(7月)放送開始のアニメーション作品情報が、GIGAZINE,AV Watchからも出揃ったので(実際には「うずらインフォ」から事前収拾してます)、レコーダーの予約当番表を作成しているところ。
 で、このクール、関西圏の地上波ネットのない番組が、過去に例がないくらい非常に増えていて、以下の8作もあるのだ。

 結局ネット配信で視聴されるコンテンツは限られるよね、ってことなのだろうか?アニメーションのネット配信が増えて(若しくは奪い合い)きており、地上波放送した実績は首都圏で十分(それで、人口の過半はカバー)ってことなんだろう。
 1年前はそういうのは一作か二作、今年に入っても四作程度だったが...
 
 地方不遇、もしくはビジネスモデル崩壊の予兆だろう。
 
 今後を注視していきたいところである。

今さらの、前前前世「君の名は。」

 やっと見てきた(笑
 
 作家性を捨て、それ以外は新海誠の全力を尽くしたのが本作だった。
 
 新海誠監督と言えば、小難しくて作家性が強くよく言っても私小説的。
 広く巷で受け入れられそうな作風ではなく、「プロジェクトA」と「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を「娯楽映画のあるべき姿」としているボクにとっても、相容れない作風だったこともあり、なかなか観に行く気にはなれなかったのだが...
 
 正直申し上げて、時系列がチョメチョメだったこと以外、手垢がついた物語であったことは否めない。
 それでも、新海誠監督の演出力や現代でコストをかけて作画すればここまでイケることを証明した超美麗な作画,RADWIPSのキャッチーな楽曲と、見所沢山であった。
 娯楽作として十分、アニメーションでもデートムービーとなり得ることを示して見せたのだ。
 
 ただ、どうだろう?
 確かに本作は、2016年度時点ではベストの一作と思うが、普遍的でありえるか?は、別のお話となってくるのではないだろうか?
 我が国の自衛のあり方について課題を突きつけた「シン・ゴジラ」や真の戦争映画となった「この世界の片隅に」と比べ、(戦争映画を賛美するつもりないが)骨がひとつないことも、また確かなのである...

クリスマスイブイブに「この世界の片隅に」を見てきた

 既に語り尽くされていることだが、太平洋戦争を戦争に疑問を持ったりなどするインテリゲンチャではなく、巻き込まれていってしまう庶民の視点から、淡々と描いていることが、本作のキモ。
 こうの史代氏の筆致を活かし,片渕須直監督によって徹底的なロケハンによって作画された呉や広島の風景は素晴らしく、それだけでも(だけが、魅力ではない!念のため)見る価値はある。
 声高に喧伝するのではなく、事実を描くことによって想起させる方が、効果的に戦争の悲劇を伝えられることを、見事見証明した一作だ。
 これこそが、「真の戦争映画」であると思う。
 
 「あまちゃん」を想起させる、ネイティヴっぽい広島弁なのんさんによるすずさんの演技は、2016年度のアニメーションシーンにおいて、特筆すべきもののひとつであったと思う。
 トラブルなどにより彼女に仕事がない状況でなければ、公開前の「あの扱い」な本作に出演されるようなことはなかっただろう。
 縁というものを感じる。
 そして、その「ワンチャン」をキッチリものにしたのんさんの演技力には、本当に舌を巻かざるを得ない。
 
 クラウドファンディングに参加されたらしい方が応援活動に熱心すぎ、それを逆に訝しがって観に行くことが遅れたことを、公開する次第。
 そして最後に、本作の後悔に尽力されたジェンコさんおよび東京テアトルさんに敬意を表して、この文章を終えたい。

バイク乗りのことはわからん「ばくおん!!」

 バイク自体が世間一般では下火なので、それに「まんがタイムきらら」系キャラクターを被せ掲載二こぎ着けたであろう漫画が原作。
 バイクの蘊蓄は専門外のため、除外。
 スズキいじりとか、蚊帳の外なのだった。
 
 原作からしてそうなのかも知れないが、「バイク、あるあるネタ」を重ねようとしているのか,「バイクを絡めた青春譚」を語ろうとしているのか不明なところあって、そこは最後まで不明のママだった。
 作画は今ひとつも部分もあったが、この手のモノとしては最低限の演技・演出のクオリティは出来ている。
 「来夢先輩」や「バイ太」など、トンデモ設定は消化して見せた。
 そこが、自分が最後まで行けた理由と思う。
 
 クセはあるので、諸手を上げてオススメではないが、乗り物系のアニメーションって少ないから、「未見の方はどうぞ」くらいのスタンスとしよう。

意外に見れた「SUPER LOVERS」

 男子が「キャッキャウフフ」する女性向け漫画のアニメーション化。
 キャスティングも演出も「それ」を潔く狙い、ある意味万全。
 逆に、ストーリーは「あってない」ようなもので、深く突っ込んで考えると負けである。
 
 ただ、このようなものとしては、演技や演出が丁寧で、男性から見ても不快に感じないところは良かった。
 そういう意味で、続けて見ることが出来たのは、収穫と言える。
 
 絵柄はそれっぽかったが、音響はどちらかと言うといい意味で中庸。
 そこも良かったのではないかと。
 
 ただ、これを描いている時点で「SUPER LOVERS 2」がある訳なんだけれど、それを見る意義を見いだせるのかは自信がない。
 個人的には「一回でいい」と思える類だ。

第3話以降失速「ジョーカー・ゲーム」

 佐久間中尉(と言うか、関智一)がヒューチャーされる「ジョーカー・ゲーム」(前,後編)と、それ以外では「別物」だった。
 世界観を提示する意味や、様々な仕掛けなど「ジョーカー・ゲーム」(前,後編)は、日本発のスパイ作品として、出色の出来映え。
 それ以外は、Production I.Gの演出力,作画の素晴らしさが反映されて平均以上とは思うが、手放しで讃えるほどでもない気がする。
 
 イケメンばかりの布陣故、また、商業的な配慮もあると思うが、何をやっても細谷佳正,何をやっても梶裕貴の演技となってしまう彼らの起用は、おそらく原作通りであろうストーリーの失速と連動して目立ってきてしまっていて、没入感を薄める一因ともなっている。
 
 続きありそうな終わり方をしていて、ヒット続かぬKADOKAWAとしては何とか続編をとの考えだろうが、ちょっと厳しいかもしれない。