今更ながら、「機動戦士Zガンダム」
正月にBS11で放送したものを録り溜めたままにしていたが、やっと全部観たので、遅まきながら。
公開されたのはとても前だけれど、一応「映画」のくくりで。
最初に結論を。
ガンダム作品としては及第だが、フィルム(映画)としては落第点かな。
一つの作品として完結できていない。
もう少しわかりやすく書くと、ファーストガンダムの映画はこれを見た人がテレビ版に興味を持つ可能性がある作りになっていたが、「機動戦士Zガンダム」はテレビ版を見ていること前提でないと見るのが辛い。
理由はハッキリしている。
三作,各2時間に収める企画に、無理があったのだ。
もともと「Z」は、敵対関係が複雑*1な上、個人の関係*2も描いており、描かれるべき要素が多い作品だ。
しかしロボットアニメだから、戦闘シーンを省くことは出来ない。
自ずと、設定の説明を省略せざるを得ず、前述の通り、何度かテレビ版を見ていないと理解不可能な内容となってしまったのだと思う。
そんな中、演出面ではささやかな抵抗を試みられている。
エマ・シーンとレコア・ロンドの関係の見直しだ。
子供向けテレビ版では描きにくかっただろうが、レコアは行動が情緒的。
エマは、ティターンズを裏切る経緯からして、一本筋を通す性格だ。
「Z」が発表されて以降、レコアは悪女?扱いでエマの方に人気があり続け覆ることがなかったのは、そこに理由があったと思う。
映画版では、レコアの生き方もアリだと強く提示し、失地回復をしようとしている。
クレジットこそテレビ版同様エマが上,レコアが下の扱いだが、登場する場面や扱いではレコアの方が優遇されている。
また、エマにレコアの考え方を認めるような発言もさせている*3。
このような女性の見方というのは、富野由悠季が「機動戦士Zガンダム」を作った時点の年齢で考えるところもあったのだろう。
しかし、それが理解されなかったところに、色々積年の思いがあったのだと一通り見て感じた*4。
若輩な僕なんかは、まだレコアは厄介な女としか見れないけれど、ね。