名アニメ監督への正しい道のり(ステップ)などない

 宮崎駿監督がそうだったからってだけでなく、原画→演出→監督と階段を上るのが一般的なようだけれど、このステップを踏んだら名監督いや少なくともよい監督になるとは限らない。
 特に「これ」とは、名指しで例を挙げることはしないけれど、むしろ、全体のコントロールを失って、作品にすらなり得ないこと数多。屍累々。
 「船山に登る」ことが予見できるのならば、その人を監督に指名することはないわけで、身内でも、その人の力量ってものは「やってみなければわからない」んでしょう。
 
 となると、受け手は「更に結果が予測が出来ない」わけで、その辺が、いまだ、アニメーションが玉石混淆でも許されている理由になっていると思ったりするのですよ。
 アニメーション見ようとする人の多くは、とりわけ新奇性を要求するので、そうなる素地を補強しているとも言えます。
 
 そう考えると、ここは保守的でないことは、救いなのかも知れない。
 ハズレ籤があっても、甘んじてみようと思います。
 
 声優さんのキャスティングは、色々渦巻き硬直化している気はするけれどw